今日もフィリピンのエピソードについて紹介します^^
フィリピンの高校生との交流プログラムには、
一緒に歴史的な遺跡に行くものがありました。
16世紀にスペイン人によって建てられた城塞都市「イントラムロス」
の端に位置している「サンチアゴ要塞」というところです。
そこはかつてWWⅡの際、日本軍が占領したところで、
多くのフィリピン人が日本軍に虐殺された場所でもあるそうです。
他にもフィリピン人にとっての英雄である「ホセ・リサール」の記念館もあり、
私たちは両方に足を運びました。
―戦争加害国と戦争被害国の若者が、歴史的現場をともに歩く
どんな姿勢で、どんな態度で向き合えればいいのか複雑でしたが、
フィリピンの友人たちは、「日本人」である私たちを攻めることもなく、
素直に歴史的現場の説明をしてくれました。
だから、私たちも素直に事実を受け入れました。
今まで全く知らなかったフィリピンでの虐殺。
教科書で勉強していたとしても、薄い記憶でしかなかったかもしれません。
だからこそ、実際に現場に行き、
当事者として「リアル」を感じたことが何よりも印象的でした。
また、足場の悪い遺跡を炎天下で見学したのですが、
フィリピンの友人たちはそれを察して、
遺跡の階段を降りるときに手をとってくれたり、
どこからともなく冷たいココナッツジュースを買ってきてくれたり、
彼らの思いやりのある行動一つ一つが心に残っています。
前回も【尊敬】について書きましたが、
ここでも、彼らの行動や振る舞いから、
彼らに対する【感謝】と【尊敬】の気持ちが生まれました。
国際交流では、文化紹介、ディスカッションといったプログラムをすることではなく、
言葉遣い、振る舞い、行動で表す【思いやり】などの【姿勢】を、
【伝える】こと、【育成する】こと、【共感する】こと。
そしてaccepting and respecting each otherが大事であり、
国際交流の本質的な部分なのだということを、
フィリピンでの経験を通して学んだんです。
もっと若者がお互いの【本質的な部分】を共有できて、
つながりあえるような国際交流を創りたい!
こんな思いが、大学生である今の私の想いやビジョンにつながっています♪
2008年10月5日日曜日
Respect
今日は前回の続きとして、
私の「つながり」経験を共有します♪
高校二年生のとき、国際交流事業でフィリピンを訪問しました。
みなさん、『フィリピン』というと何を思い浮かべますか?
バナナ、貧困、看護婦…
私もはじめは『バナナ』でした。
でも今、もう一度聞かれたらこう答えます。
温かい、笑顔、寛容、オープン、A.G.、Marc、Myra、Nur、Bryan…
今では、自分の目で見たこと、感じたこと、
そして個人の顔が思い浮かんできます。
『フィリピン』と聞いて、
想いを馳せられる友人がたくさんいます。
彼らと出会い、絆を築き、今でもつながりを感じているからです。
そんな絆が深まったepisode.
★寛容であること
フィリピン人の多くは敬虔なキリスト教徒なんです。
私のホーススティ先にもイエス・キリストの肖像画があったり、
ホストマザーは教会の前を通る度にお祈りをしたり。
彼らにとって、宗教は「日常」であって、人生の一部でもあるんです。
宗教を信仰することは、ごく普通で当たり前のこと。
そんな彼らにとって、無宗教であることは意外で、
(おそらく)なかなか理解しがたいことだと思います。
ところが、私がフィリピンの友人たちに
「あなたは何教なの?」を聞かれたとき、
「無宗教だよ」と答えると、全員が驚きました。
けれど、私が無宗教であることを受け入れてくれました。
自分にとって当たり前であることを受け入れることって、
なかなか難しいですよね。
なのに、友人たちは受け入れてくれました。
そんな彼らの態度を私は尊敬しました。
「尊敬」というものが、彼らの絆を深めた要素の一つでもあるんです。
「理解」を一歩先にいった「尊敬」。
そんなことを経験できる国際交流って素敵ですね♪
私の「つながり」経験を共有します♪
高校二年生のとき、国際交流事業でフィリピンを訪問しました。
みなさん、『フィリピン』というと何を思い浮かべますか?
バナナ、貧困、看護婦…
私もはじめは『バナナ』でした。
でも今、もう一度聞かれたらこう答えます。
温かい、笑顔、寛容、オープン、A.G.、Marc、Myra、Nur、Bryan…
今では、自分の目で見たこと、感じたこと、
そして個人の顔が思い浮かんできます。
『フィリピン』と聞いて、
想いを馳せられる友人がたくさんいます。
彼らと出会い、絆を築き、今でもつながりを感じているからです。
そんな絆が深まったepisode.
★寛容であること
フィリピン人の多くは敬虔なキリスト教徒なんです。
私のホーススティ先にもイエス・キリストの肖像画があったり、
ホストマザーは教会の前を通る度にお祈りをしたり。
彼らにとって、宗教は「日常」であって、人生の一部でもあるんです。
宗教を信仰することは、ごく普通で当たり前のこと。
そんな彼らにとって、無宗教であることは意外で、
(おそらく)なかなか理解しがたいことだと思います。
ところが、私がフィリピンの友人たちに
「あなたは何教なの?」を聞かれたとき、
「無宗教だよ」と答えると、全員が驚きました。
けれど、私が無宗教であることを受け入れてくれました。
自分にとって当たり前であることを受け入れることって、
なかなか難しいですよね。
なのに、友人たちは受け入れてくれました。
そんな彼らの態度を私は尊敬しました。
「尊敬」というものが、彼らの絆を深めた要素の一つでもあるんです。
「理解」を一歩先にいった「尊敬」。
そんなことを経験できる国際交流って素敵ですね♪
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