Autum has come in the wind.
木々の葉はまだ色づいていないけれど、
なんだか風がcrispで、寂しげな匂いがする感覚。
そんなとき秋を実感します^^
この前、とっても素敵な文章と出会いました。
『私たちは、変えようとしている世界の外に立っているのではない。
世界が変われば私たちも変わり、私たちが変われば世界も変わる。』
『世界をどう考え、どう理解するかが、私たちの行動を規定する。』
GETTING TO MAYBE
How the World is changed
フランシス・ウェストリー
ブレンダ・ツィンマーマン
マイケル・クインパットン
エリック・ヤング
この本では違った文脈で語られていたんですが、
自分の思い描いている未来になんとなく共通していたんです。
『対立ではなく、分かち合いに溢れている世界』
これが私の描きたい未来。
戦争や抑圧といった【目に見える対立】から、
環境破壊や格差といった【目に見えない対立】まで、
たくさんの形の対立があります。
その中でも私が最も関心を持っているのは、
【無関心】という対立です。
誰かが困っていたり、苦しんでいたり、
または自分の行動が他者にマイナスの影響を与えているとき、
『関係ないじゃん』と思うと、
その瞬間、相手と築けたはずのわずかな関係性が消えて、
他者に対する問題に対する思考/行動が停止してしまうと思います。
それは私たちが悪い、ということではなく、
他者との関係性がないために、
なかなか共感したり、アクションを起こせないんだと思うんです。
そんな【無関心】を【ほっとけない】に変えるものが、
人と人の【つながり】なのではないか。
相手のことがほっとけない。
知っている人、大切な人、何かを分かち合った人だったら、
「関係ないじゃん」なんて言えないですよね。
つまり、【つながり】を持つということは、
相手に何かあったときにおける【アクションの仕方】が変わってくる。
行動が変われば、結果も変わる。
だから、もし、
もし、たくさんの人が、異なる背景や集団の人とつながりをもてたら、
そのときは、「関係ないじゃん」が減り、人の行動が変化する。
その、たくさんの人の行動が変化すれば、世界も変わる。
つながりのパワーって計り知れないです。
次回は私の「つながり」経験を共有します♪
See You!
1 件のコメント:
井上さんのゼミのHPかリンクで来ました、慶応大学ニ年山口洋一郎です。
ブログで書かれていること、とても共感しました。
僕の感じていることも書いてみたいと思ったので、コメントしました。
【無関心】
無関心な人=罪という構図ってどうなんでしょうか?
これが僕の問題意識です。
そもそもひとりひとり関心がある部分があるのと、ない部分があるのは当然のこと。例えば、社会問題に対して興味はないけど、身近な友達の問題にはすんごいリアルを感じる人がいるとしたら、それはある意味ごく自然なことなのではないかと思う。
今の世界のイメージってメディアとか人間の理性・想像力で形作られている。少なくとも一人一人の体験には基づいていない。
しかも毎日のニュースは膨大で、ひどいニュースも多い。
これに一つ一つ当事者意識を持とうと思ったら、おかしくなるから、無意識のうちに感受性や関心に蓋をして生きているのではないかと思います。
そんな“世界”にリアルを感じないのはある意味自然なことではないかと思うのです。
みらんさんはどう思いますか?
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